湯本温泉 旅館 六角堂
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湯本散策|温泉街周辺の見どころ

からんころん・・・ゆかたと下駄でゆったり散歩はいかかですか

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恩湯

恩湯

当館の隣にある元湯「恩湯」。湧出湯そのままなので泉温は38.5度、泉質は最高です。
浴衣、下駄履きでお出かけください。 昔ながらの湯治が楽しめます。

営業時間:6時~23時(3月~11月)  6時30分~23時(12月~2月)
定休日 :第1火曜日 料 金:大人200円・子供100円

大寧寺

大寧寺

大寧寺は、山口に栄華を極めた大内氏終焉の地としても知られています。
天文20年(1551)大内義隆は、謀反を起こした家臣の陶晴賢に大寧寺に追いつめられこの地で自刃しました。大寧寺裏手の遊仙窟という山腹に義隆以下33の墓がひっそりと立ち並んでいます。
境内には、大内義隆が顔をうつして最期を悟ったと伝わる「姿見の池」、その時かぶとを掛けた「甲掛けの石」などが今でも残っています。また、室町幕府の関東管領であった上杉憲実のものと伝える墓、江戸時代の毛利藩重臣たちの墓、代々の住職の墓などがあります。本堂の西側には豊川稲荷がまつられています。 また大寧寺は湯本温泉の泉源所有者でもあります。昔で言う米300俵で町が使用料を支払いしています。毎年1月1日の開湯の際 大寧寺から祈願のためお坊さんがこられます。

萩焼窯元

萩焼窯元

本温泉街の西はずれの、静かな山あいにあります。
萩焼の開祖、李勺光の流れをくむ4つの窯元があります。

音信川恋文伝説

音信川恋文伝説

その昔、川の下流からきた客人と恋に落ちた湯女(ゆな)たちは思いの丈を綴った恋文(音信)を橋の上からそっと流したといいます。 ”川の流れよ、この気持ち、どうかあの人に届けておくれ” 待つ身がつらい湯女たちの、せめてもの流し文。それが音信川のいわれなのです。 当館では流し文をとりあつかっております。詳しくはフロントでおたづねください。

恋人の聖地記念碑

恋人の聖地記念碑

温泉情緒漂う川の遊歩道散策や足湯に浸り、想いをゆっくりと温めあうにふさわしい「恋人の聖地」にも選ばれています。

かぶと掛けの岩

かぶと掛けの岩
姿見の池

大内氏は室町時代以降、山口に優れた大内文化を育てあげた名族です。
しかし天文20年(1551年)9/1、31代当主大内義隆は重臣の1人、陶 隆房の反乱にあい山口を追われこの長門深川の大寧寺で無念の最期を遂げました。

その際義隆はこの大寧寺境内に入る前、乱れた髪を整えようと参道脇の岩(かぶと掛けの岩)に兜を掛け、側の池(姿見の池)に顔を映そうとしました。 しかし、水面に自分の姿が映らず運命を悟った義隆は寺の本堂に入り家臣達に守られながら自害してはてました。

 

姿見の池
児玉花外の碑

児玉花外の碑

児玉 花外(こだま かがい、1874年(明治7年)7月7日~1943年(昭和18年)9月20日)は、日本の詩人。はじめ社会主義詩を、後に愛国詩をよくした。明治大学校歌『白雲なびく』の作詞者でもある。

1960年(昭和35年)、祖父のゆかりの地である山口県長門市の大寧寺に詩碑が建立された。

馬頭観音

馬頭観音

湯本温泉内にある馬頭観音菩薩です。  馬頭観音菩薩は、仏教における信仰対象である菩薩の一つです。 サンスクリットではハヤグリーヴァ(Hayagriva)と言い、「馬の頭をもつもの」の意です。 観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一つにも数えられています。

盤石橋

磐石橋

長門湯本にある大寧寺境内を流れる大寧寺川に架かる橋です。 自然石で造られた橋なので珍しいですよ。 防長の三奇橋の一つです。 他の二つは岩国市にある錦帯橋と山口市徳地にある虹橋です。

餅つき地蔵

餅つき地蔵

長門湯本・大寧寺前の山裾に、風変わりな地蔵菩薩様がおられる。 像高40cm余りの小さな地蔵菩薩であるが、台座に腰を下ろして両膝を立て、手に杵を持つ姿は珍しい。 地蔵菩薩を安置する石祠も、自然石を組み合わせただけの特異なものである。 地蔵菩薩の由来は判然としないが、宝前に供えてある杵からみて、元々「豊作祈願」の為に建立したものだと思われる。 土地の人はこれを「餅つき地蔵」と呼んでいるが、この地蔵菩薩に願をかけると子供が授かるとも言われ「子授け地蔵」とか「子宝地蔵」とも言われている。 地蔵菩薩の周りには長門市内随一と言われる四基の五輪塔がある。 どれも高さが180cm以上の大きく立派なもの。 五輪塔は延宝二年(1674年)~正徳二年(1712年)にかけて建立された塔であるが、傍らの石灯籠にも寛文十三年(1674年)の刻銘がある。 これらの記念銘から推測して「餅つき地蔵」も江戸時代中期頃迄の建立と考える出来る。

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